10/14 「白」と日記(ブログ)

 こんばんは。3日続けば結構続く?

 

・日記(ブログ)を始めて

かなり精神が安定していますし、勉強の集中度が上がりましたね。やはり考えてることを悶々と溜め込まずに吐き出すことは大事なのだなぁと。

 先日解いた2009年度の東大国語第1問、出典は原研哉著「白」。この文章の主題は「白い紙に文字を定着させる経験が、己のつたなさを自覚し、表現の完成度を高めることを尊ぶ美意識を生み出した。鮮やかな感動を呼ぶ表現は、後戻り出来ない状況で潔く己の表現を為そうとする覚悟から生まれるはずだ」というもので、インターネットメディアの登場も踏まえつつそんなことが説明されています。まだ添削が帰ってきていませんが、恐らくかなり残念な点数だろうなぁ......

 まぁ点数のことはどうでもいい(本当にいいか?)として、ブログを書き始めてからの精神の安定を考えた時にこの文章の冒頭を思い出しました。

(引用)「白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆な定着をおのずと成立させてしまう.....(以下略)」

文章自体は「だから、吟味しないといけないよね、という暗黙の了解がある」という主張から展開されますが、僕が今日考えたのは「不可逆な定着」についてです。

 これを書き始める前の「自分」(自分の「思考」)は、定着していなかったのでは無かろうか。未成熟とまでは言いませんが、思考がかなりぐちゃぐちゃであったことは間違いないなぁと思います。また今度書きたいなぁと思いますが、僕の思考は客観と主観に強く分離しているように感じていて(他人の思考は覗けないので断言できませんが、多くの人がそうであるのでしょうか)。もっと言うと「感情」と「理性」でしょうか。当然感情が先立って何らかの思考をする訳ですが、思考した瞬間、理性が「お前のような未熟者の思想など誤りに決まっておろう」とばかりに修正を迫ります。さながら創作でよくある天使と悪魔の口論の図といいますか。

そんなこんなで、僕の思想は定着しない。僕の中で「強めの」思想は「イスラエルに居住しながら平和を語るようなユダヤ人だけは嫌い」くらいだと思います(無論一部のユダヤ人であることはしっかりと理解しております)。

しかしながらこの「ブログを書く」という作業は「思考の過程をできる限り表現する」ことを目的のひとつとして書き始めましたので、客観と主観の両方が生きたままバランスが取れると言いますか(この括弧書きの多くはその時同時に働いている客観or主観と言っていいかも?いや分からんな......自分のことを正しく理解できない)。そして自分の中でそのバランス自体が「不可逆な定着」をするように感じています。

この白いページ上に自身の思考を書き連ねて、思考を定着させること、思考に決着をつけることが、僕の精神の安定やら、学習中の無駄な思考の低減やらに有用だったのかも?まだ3日目なのでハッキリしませんが、そんなことを考えていました。

このブログを僕がもっと「吟味」しながら書いたならば、この文章も「鮮やかな感動を呼」んだりするんですかね。まぁそんな時間は無いのですが!

とりあえずは、明日も頑張って書いていきたいです。