3/3 美術の価値をようやく理解出来た気がする話
こんにちは。
先日の投稿で一応ストーリーは終わらせた、と言ったゲームソフト「Spiritfarer」。
今日はその中のキャラクターの一人「グスタフ」の言葉からの話です。
- Spiritfarerとグスタフについて
あなたは何を遺していきますか?
Spiritfarer® は死にゆくものをテーマにした、心温かいマネジメントゲームです。プレイヤーは故人を乗せて運ぶ船頭ステラ、魂の旅人 (Spiritfarer) になります。世界を探索する舟を造り、霊魂と友だちになって彼らのお世話をしましょう。そして最後には死後の世界へ解放してあげるのです。作物を育て、鉱物を掘り、魚を釣り、収穫し、料理し、神秘の海へ至る道を作っていきましょう。2人での協力プレイでは、猫のダフォディルになって冒険に参加できます。霊魂となった乗客と共にゆったりと充実した時間を過ごし、消えない思い出を作りましょう。そして最終的に、大切な友人とのお別れの仕方を学んでください。
(Steamのゲーム紹介より引用)
こう記されている通り、プレイヤー=主人公ステラは故人の魂を船に乗せ、彼らが死後の世界に旅立てるようにサポートをしてやります。
その中で現れる「乗客」の一人がこの「グスタフ」です。
グスタフは芸術家のキャラとして登場し、彼はステラに画廊の建築を頼んだり、芸術品制作を手伝わせたりします。
- グスタフとの別れにおいて...
ストーリーを進め、彼を死後の世界に送り出す時が来ます。
そして彼はポツポツと自らの考えを述べ始めます。(以下要約)
「世界は原子のランダムな配列に過ぎず、我々の存在や行為自体に目的や意味はない」
よく言われる話ですね。カオス論か何か...
「しかしたった1つの素晴らしい能力として、人間は意味を生み出すことができる」
「我々には創造し体系化する能力があって、カオスの中から目的や意味を作り出してきた(カオスを超越した)」
これもよく言われる話ではあります。
「我々は道具や機械を作り、私もかつてその一部として働いた」
「だが、そうした無数の創造物が意味を持つのはそれが使える間だけだ」
「『私』という道具は使えなくなった瞬間にただの塊に戻り(カオスの一部に還り)、内在する人間性を失った」
「実用性を得ることで簡単に意味は手に入るが、そうした意味はすぐに消えてしまう」
「だが我々の精神の混沌から引き出される芸術は実用性のために生まれるのではなく、ただそれ自体が意味を持つ」
「それは芸術家が消え人類が滅んでも、適切に保存されている限り芸術は残る」
「それは我々が滅んだあと唯一残る意味であり、我々が届き得る超越の形であり、混沌を脱しようとする痛ましい努力なのだ」
なるほどな〜〜〜〜と思いまして。
今まで僕も芸術を見聞きして「綺麗だな」「楽しいな」と思うことはあれど、その普遍的価値を信じていたかと言われれば答えはノーでした。
結局のところ芸術なんて精神の充足のための道具だし、その充足は相対的なものじゃないかと思っていた(まぁ今もそう思ってる節はありますが)のですが、確かに人間の価値を考えた時に、「実用的なもの」は究極的に意味を失ってしまうのは納得がいきます。
「人間の意味」を考えた時、たとえそれが「後付け」だったとしても、たとえその「意味」自体が人間の客観的な目線を介してしか捉えられないものだったとしても、グスタフが話す「芸術の意味」は僕にとって今までで最もしっくり来るものでした。
過去問で「知的存在としての人間は混沌から形を作りだす」という話があって、その問題は「人間の意味」とかに焦点があるものではありませんでしたが、その「形」のなかで最も普遍的に価値を持ち得るものが芸術なのだと、芸術に対する価値観が少し変わった場面でした。
Spiritfarerはグスタフ以外にも結構実のある話をしてくれるので本当にオススメです。
以前と同様漠然とした記事ですがよろしくお願いします。