3/5 道徳教育と個人と共同体
「教育原理」という本を読んでいます。
教育の役割を考えたとき......僕が世界史の授業で聞いたところではフランス革命期に、「国民に与えられた主権を行使できるように国民全体を啓蒙する」ものとして公教育が意味を持っていたと言います。
「共同体のための教育」......とも言えます。
教育というものは、個人を社会へと接近させていくものと捉えられます。
そこで社会というものを考えたとき、そのフランス革命から始まったとされる「近代」においては、社会は個人の利益追求を援助する形です。
それでは「個人のための社会のための教育」なのでしょうか。
結局のところ教育は何のために行われているのか。ヒトは生後すぐは圧倒的に弱く大人の庇護を要しますし、更に高度な社会への適応も要しますから教育は「必ず要される」ものです。
しかし「公教育」ということになると......結局それって共同体と個人、どちらの為に行われているのかハッキリしなくないですか?
どうしてこんな事を考えているかと言うと、「道徳教育」について考えていたんですよね。
「道徳教育」は愛国心だとか、社会的に「道徳的だ」とされる行動だとかをいたいけな児童らに強要するものです(あえてトゲのある言い方をしましたが、僕は何だかんだ不要とも言えないと思っています)から、言わば高度に「共同体のための」科目だと考えています。
でも日本の公教育も普通に欧米流なので、基本理念としては「個人の利益追求の援助」があるはずですよね。
道徳教育というモノは役割がそもそも矛盾している気がしてきました。
じゃあ道徳教育は不要なんですか?って聞かれると、それはまぁ断言出来ないよなぁと。
思いやりだとかが不要なワケはないので。
ここまでほぼ無根拠で、僕の思考の中だけで話を進めています。こういう漠然とした疑問をインターネットやら書物やらだけで解決するのって凄く困難だなって。僕が住んでいる市の図書館はちょっと...蔵書がイマイチかな...。
そう思うと大学に行きたくなってきました。受かってる可能性は低いですが。
特に海外の教育との比較がしたいなと思います。こういうのを日本の中だけで考えるのは難しいし、何かを変革するにしても例が欲しいところですよね。
と、いう漠然とした話でした。またよろしくお願いします。