10/13 古文を解きながら考えた事

こんばんは。今日は気分がかなり軽い良い日です。やはり先週末はかなり参っていたんだろう...

 

・今日の古文演習を解きながら考えたこと

 本日の古文演習は06年度センター本試より、木下長嘯子著「うなゐ松」でした。

 <概要>

 筆者である「翁」の娘は齢17にして病に臥せていた。

場面① 元日でも娘はますます病が酷い様子で、翁は娘以外のことは考えず涙を流す。ある日、女の童が古歌を引用しながら梅の花を娘へ見せると、娘は「私は今日明日の命だけれど、あの世に持っていく思い出はこの花なのだろう。桜は見られないのが残念だわ」と、やつれた顔で言う。そんな様子も翁は愛しく思うのだった。

場面②2月の半ば、娘は臨終かと思われたので、多くの人を呼んで娘の形見を与えていた。

翁が娘へ、「心残り無いように、言い残したことがあるならば言いなさい」と言うと娘は、「私を火葬しないでくれませんか。先に死んで両親を哀しませたり、姉の産む赤子が見られなかったりするのが心残りなのです。どうか遺体を損なわないでください。」と言う。翁は「お前の遺言には決して背くまい」と約束した。

場面③それから4、5日すると、ある人から初桜の枝花が送られてきた。翁は早速、「お前の見たがっていた桜を見せてやろう」と花瓶に差しておいた。娘は、「私が春の移り変わりを知らぬ間に、早くも桜が咲いたことよ」と、懐かしく思い慕われそうな言葉を綴った。娘は3月の15日に死に、その無念さは比類がない。翁は娘を火葬せず埋葬したが、生き残って娘の法事などを行う老いの命はつくづくむなしいものだ。

(概要終わり)

 

嘘をつきました。「概要」では無いですねこれは......筆が乗ったんだと思って下さい。

 今年になって古文が「読める」ようになると、去年まで「要るか?この科目」と思っていた古文を楽しめるようになってきました。今回の文章はかなり好きです。娘を愛する父の感情やら、古歌を引用しながら季節の風物を見るその風流さやら......みたいな?非常に良かったです。

 特に場面②の、「私を火葬しないで欲しい」と述べる娘のシーンを読んで「なるほどなぁ」と思ったんですね。

 火葬......言われてみると凄く嫌だなと思いまして......宗教は、本来「嫌だな」と思う「埋葬」を「葬送」にしてくれるものなのかもな、と考えなどしていました。まぁ宗教のことはこのくらいにして。

 7月にメギド72で行われたイベント「生と死と、それぞれの個と」には墓守のメギドであるビフロンスが登場し、彼女の「個」(ここの「個」はイベントタイトルの「個」とは少し意味合いが違いますが......本編をやって頂いてですね(唐突な布教))そのものである彼女の死生観や「墓」に対する見解が示されます。彼女いわく、墓とは「死者の生きた証を残し」「生者の心の慰めとする」ものなんですね。今日の古文では娘の方から「私が完全に消えないようにして欲しい」と頼むワケで、ここには仏教的な価値観がかなり絡んでますね。このイベントのストーリーはかなり好きな部類なんですが、この「墓」観と「死は生における最後の輝きだ」というビフロンスの結論には特に感慨を覚えたんですよね。そんなことも思い出しました。

 生き残った者は親しい者の死を抱えながら生きていくのだなぁと。祖父が死んで6年とは言え、まだ若いのでよく分かりませんけども!

そんな生は虚しくて、どうしようもなくやりきれないものなんでしょうけど、そこにどことなく「あはれ」の感情を抱く自分がいまして、僕としてはそんな生も悪くないと思いましたし、死を輝きあるものにする為に懸命に生きるべきなのだろうと思いました。

 

 今日はこんな感じで。