"The Red Strings Club"備忘〜思索に対するゲーミフィケーション
このゲームを起動すると、主人公の一人、ブランダイスが赤い血を糸のように垂れ流して高層ビルから落下している......というシーンから始まる。
すぐに場面は転換し、場末のバーでピアノを弾くブランダイスの姿、そしてバーのマスターでありもう一人の主人公、ドノヴァンが登場する。どうもドノヴァンが作るカクテルは特別で、飲んだ者の感情をコントロールできるものらしい。ドノヴァンがブランダイスにカクテルを出し、ブランダイスが心境等を語る中、破壊されたアンドロイド、アカラ184が店に入り込む。そのただならぬ状態に興味を覚えたブランダイスがアカラの記憶を覗くと、街を支配する巨大企業「スーパーコンチネント社」による「人類精神総書換え計画」が判明。ブランダイスとドノヴァンは協力して、ブランダイスは店の外、ドノヴァンは店の中、ーー客の感情を操作して情報を引き出すことでーーこの陰謀に立ち向かうことを決意する。
本文章はこうしたあらすじの"The Red Strings Club"という作品が、いかにして我々が特定の問題に対して思索し、内省する過程を「ゲーミフィケーションしている」ゲームなのかということについて考えるものである。ただ、あくまで備忘録的に書いているものなので、綺麗な文章は期待しないで頂きたい。いや...本当は綺麗に仕上げたかったんですけど...ちょっと他にやりたいことできちゃったので...。なお、ネタバレにはほとんど配慮していない。
①プレイヤーはまず一つの主体として位置付けられる
このゲームの「ゲームプレイ」の部分...すなわち、「プレイヤーが介入できる」部分は、先に述べたブランダイスに出すカクテルの作成から始まる。
カクテル作成が始まると、画面に靄がかかっている。
そこでドノヴァンは我々プレイヤーに対し「ニューメン」と呼びかけ、
「...感覚を収穫せし者よ、汝の力を我に与えよ。」
「赤い糸を編み、この手を導き、埋もれた感情と同期するために。」と述べる。
同時に靄は消え去り、ドノヴァンによるカクテル作成のチュートリアルが始まるのである。
このゲームにおいて、赤い糸は運命のメタファーだ。それは、こうしたADVゲームにおける「タイムライン」が赤い糸を彷彿とさせる描かれ方をしていることなどから読み取ることが可能だろう。
この瞬間我々プレイヤーは、自ら運命を手繰り寄せる物語の主体に誘い込まれるのである。
この事実は、初回プレイでは気付き難い。私も初めは「なんかこっちに語りかけてきて、『クリック』だのなんだのと説明的なチュートリアルが始まったな...。」と思ったものの、見返せば、このカクテル作成が行われる全てのシーンは...エンディング後のシーンも含めて...プレイヤーに完全に委ねられていることが分かる。つまり、このカクテル作成においては「ドノヴァンの行動にプレイヤーが介入している」というよりも、「プレイヤー自身が全工程を行っている」と見ることができる。
これは、即座にプレイヤーになんらかの影響を与える描写とは言えないが、作品全体の姿勢を示したものだと考えられる。このゲームは開始5分と経たずに、「これはお前が手繰る赤い糸の物語なのだ」と表明しているのである。
②「諦め」を実感させる
ドノヴァンがカクテルを飲んだら、次はアカラの記憶を覗くシーンになり、プレイヤーもアカラを操作してその記憶を追体験することになる。どうもアカラはスーパーコンチネント社のインプラントクリニック、肉体に生体物質を埋め込んで感情や精神を操作するインプラントの作成や埋め込みに従事していたようだ。
三人のクライアントは、「もっと人気者になりたい」だとか、「もっと出資者を集めなければ」だとか、「批判が怖い」といった状況を感情や精神の操作によって解決しようとしていて、アカラ...そしてプレイヤーはその解決のために、「カリスマの強化」「説得力の強化」といったインプラントを埋め込むのである。
三人目のクライアントへの埋め込みを終えると、四人目のクライアントが現れるのだが...どうも一人目のクライアントと同じ人物のようだ。どうやら、最初に埋めたインプラントは効果を発揮したが、更なる効果を求めてやって来たようだ。なるほど、では今度はこちらのインプラントを試そう......今度は解決できると良いのだが。そうして五人目のクライアントを迎えると、どうやら二人目と同じ人物のようだ。どうやら.........あとの展開は察しがつくだろう。
何度様々なインプラントを試しても、彼らは何か問題にぶち当たったり、欲求を深めたりして、終わりが見えない。そしてプレイヤーが最後に取る選択肢はプログラム上決まっている。人気者になりたい者から承認欲求を消し去り、富貴栄達を求める者から出世欲を消し去り、批判を恐れる者から外界との接触を断つ。そうしなければ、ゲームは先に進むことがないのである。
ここで、スーパーコンチネント社が行おうとしている精神書換え計画について説明しておくと、彼らは総人口の半数以上に埋め込まれている体内インプラントを通して彼らの感情を抑制し、絶望や激しい怒りを消し去り、より幸福に生きられるようにしようとしているのである。人間の感情やその自由を愛するドノヴァンはこの計画に否定的で、ゲーム内でもこの行為の是非についてバーの客と議論を交わしたり、アカラに意見を述べたりする。
しかしこのシーンでプレイヤーは、クライアントの抱える問題の解決を諦めて、そもそも欲求の源になっている感情そのものを廃する選択を強いられる。言わばこれは、「ドノヴァンは計画に否定的だけど、実際書き換えちゃった方が幸せかもよ」という選択肢の提示であり、同時に、「現代の諸問題は根本的解決など不可能で、非道徳的な精神の書換えによって幸せな結末を与え得るかもしれないよね」というゲーム側からの囁きのようなものだと感じた。プレイヤーはこのシーンを通して、書換えという手段から逃れることを「諦め」させられる。
③初めに判断材料を与える
さて、三人のクライアントを片付けた...続いて企業の重役が来るらしい。「彼らの欲求をそのまま満たせ」と言われたから、感情を消し去ってしまうようなやり方はダメなのかも...そんなことを考えながら「占い師」とされている次のクライアントにインプラントを埋め込もうとすると、突然そのクライアントが目を覚ます。そして、インプラントを改竄して、占い師の次にやって来る企業の重役たちが企業に対して不利益を働くように仕向けようと試みる。
このクライアントはアリアドネという名の女性で、巨大企業に対するレジスタンス的な活動を行っているようだ。同時に、彼女の所属する組織はアカラを所持していて、彼らが持つ「感情」を高く評価しているらしい。アリアドネは聞きたいことがあれば何でも聞けと言うので、色々と話を聞いてみることにしよう。
「なぜ私(アカラ)に感情があると思うのですか?」
するとアリアドネは志向性だとか、創造性だとかを心の要素として取り上げて、「感じる力」がアカラにあると説明する。wikipediaを引用して、
この会話は、今後我々プレイヤーが精神操作の是非について考える際に、まず「精神・感情・心とは何なのか」と言う情報を持てるようにしている。前提知識を持って、プレイヤーの意志で選択させよう、思考させようという意識があるのではないかと思う。
「アリアドネ」の名も示唆的と言えるかもしれない。「赤い糸」を一つのテーマとするこの作品で、「アリアドネの糸」で有名なこの名をこの場面で登場させるのには訳があると考えて良いだろう。ラビリントスに挑むテーセウスに、迷宮からの脱出のため渡されたアリアドネの糸である。この作品でも、アリアドネはアカラがインプラントクリニックの外へ出るきっかけである。または、彼女自身が混沌とした社会の迷宮から脱出する術を大衆に与えたいと願っていたのかもしれない。同時に、我々プレイヤーが思索の迷宮に囚われないようにする手がかりの役割を果たしているのではないだろうかと思うのである。
とは言え、このすぐ後に計画の真相を知ったアリアドネはクリニックの警備システムにアカラ共々射撃されて死んでしまうが。
④そもそもゲームが模されている
この記事を書いている途中で下記の記事を見つけた。短く分かりやすくまとまっているのでまずはこちらを読んで頂いた方が良いだろう。
アカラがゲームデザイナーに当たることはプレイすれば自明に分かるが、ドノヴァンがプレイヤーで、ブランダイスが主人公であるという構造は目から鱗であった。
アカラはドノヴァン(プレイヤー)と客との会話が終わった後、客の感情はどのようなものであったのか、そして特定の問題に対してドノヴァン(プレイヤー)がどう考えているのかを、「ゲーム形式」で問うてくる。アカラ本人が、「ゲームというのは人間が学び、成長するための最も原始的なツールのひとつです」と述べて、クイズゲームの形式で客の感情をドノヴァン(プレイヤー)自身が導けるようにすると共に、ドノヴァン(プレイヤー)自身がどう考えているかを知ることも可能にすると言うのである。(そしてクイズの正答数によって物語で取れる選択肢が増えたりもする。これはアカラがドノヴァンに新たなスキルや情報を与えたりする事によるのだが、これもまたアカラがゲームデザイナーの立場であることを示しているだろう。そしてドノヴァン自身も「まるでRPGかなにかだな」と述べる。)
こうした情報を鑑みれば、私がこのように長ったらしい文章を書かずとも、このゲームが思索をゲーム化していることは誰にでも分かることとも言えるだろう。
ただ、上記ブログの考え方に基づくと、もう一人の特徴的な人物「ゴスト」にどのような役割を当てるべきか悩ましい。彼はゲームマスターであるはずのアカラに知覚されることなく近づいた「イレギュラー」であり、彼がゲームにおいて何の役割を果たしているのかは更なる考察の余地と言えよう。(何だろう、modとか?(適当))
⑤例え話が「我々プレイヤーにとっての現代」に合わせられている
これをゲーム内で見た時はかなり驚愕した。このゲームの世界観はいわゆるサイバーパンクである。こういった世界観におけるデバイスは、多くの場合未知の高性能デバイスだったり現代から見ればオーパーツ的だったりするが、このゲームにおいて「アップデートを常に要求されるもの」の例として登場するものは「iPad」であるとか「プレイステーション」であるとか「電子レンジ」であるとか、とにかく我々にとって身近なものだ。開発者が「このソーシャル・メンタル・ケアに関する問題を、プレイヤー自身の立場で考えて欲しい」と思っているであろうことが窺える表現である(補足しておくと、これらの例えから、「適切な動作のために人間の補助機能をアップデートするに過ぎない」という主張に繋げられている)。
なんか途中で力尽きたのでとりあえず上げときます。また気が向いたら加筆修正する気がする。思いつくままに書いたので構成がぐっちゃぐちゃですが読んでいただけたなら幸いです。
3/18 平和と知る自由の共存
ある事件があった時に、それまで違和感なく見ていた別の何か(something)が全く違ったように見えるようになることってありますよね。
事件によって物事を疑うようになり、正面からでなく裏から見ようとするのは自然なことです。しかし、正面から見えていた像が必ずしも虚像という訳ではないように思います。
勿論、まったくの虚飾・大嘘でした〜という場合もあるでしょうが、真正面から見える姿もまたその「何か」の一面ではないでしょうか。にも関わらず裏が見えてしまうが故に、「何か」が負のイメージを持つようになることが多々あります。そしてある物・者に対する負のイメージというものは争いを生みがちです。
つまり、「知ることができた」ということが争いを生んでしまうことがあるのかもしれない、と考えたワケです。
実際、色んなコンテンツとかでも「下民が要らぬことを知るが故に争いが起きるのだ!」とか言う皇帝なり王族なりが登場するものを見たことがありますし、結構ありがちな部類だと思います。トマス・ホッブズの「リヴァイアサン」でも、全人類が自然権を自由に行使すると
「万人の万人に対する闘争」に陥ると書いてあるらしいですよね。(一度読んでみたい気がする)
しかし、イマドキ「知る権利を放棄しよう」なんて考えは馬鹿げてるとしか言えないでしょう。
物事の様々な面を知ると同時に、知ったが故に起こる諍いを回避するにはどうしたらいいのか?
「裏」だけが本質なのだと思い込まず、物・人がどのような意図で作られた・行動したのかよく考えます......とか言っても漠然としてますし、理論も何も無いですし、言うは易しって感じですしで解決にならなさそうですね。
そもそもこんな問題を深夜0時から寝ぼけ眼で考えるのが無理ゲーです。こんな状態で解決できるなら世界はもっと平和でしょう。
という訳で、この記事はいつにも増して備忘録の性質が強いものです。こういう問題もいつかより本格的に、本質的に考えられたらいいよねと思い、それを書き留めていつの日にか目に留まればラッキー!という感じで。
相変わらず漠然としていますが今後もよろしくお願いします。
3/14 合格と引き換えにブログの題材が消えた
こんにちは。有難いことに東京大学文科三類に合格しました。マジで受かってるとは思わなかった......のですが、逆に受かってるだろと思ってた人が落ちてて傷心もしています。受験の恐ろしさを知りました......。
今日はごくごく短い話です。
・ブログの題材に困っている
ブログの題材が思いつきません!
以前は心の混沌から自然と題材が生まれてきたと言いますか、それ故に内容もかなり混沌としている(読みづらい)ものになってたと思うのですが、いざ合格してみると心の悩みがまぁ一切無い!自己肯定感も恐らく今までの18年の人生で最大と言っていいでしょう。スプラトゥーンをやっても無意識にオラついてキルされてしまうので自制を心がけていますが。
そうなると題材は自然とは生まれなくなるんですね。しかし僕はこのブログをコンスタントに続けていきたいと思っていますし、僕の稚拙な文章力を鍛えるには日常的に文章を書き続けるほか無いでしょうからどうにか題材を見つけなければなりません。
というわけで、3月も半分を過ぎようとしているのでいい加減ここまでの自堕落な生活はある程度改善して、ゲーム以外の文化的活動をドンドン増やしていきたい所存です。手始めに九州国立博物館へと向かっています。
とまぁ、軽い宣言のようなものです。三日坊主をしないことを第一目標にしたい。
そういうつもりですので何卒よろしくお願いします。
3/3 美術の価値をようやく理解出来た気がする話
こんにちは。
先日の投稿で一応ストーリーは終わらせた、と言ったゲームソフト「Spiritfarer」。
今日はその中のキャラクターの一人「グスタフ」の言葉からの話です。
- Spiritfarerとグスタフについて
あなたは何を遺していきますか?
Spiritfarer® は死にゆくものをテーマにした、心温かいマネジメントゲームです。プレイヤーは故人を乗せて運ぶ船頭ステラ、魂の旅人 (Spiritfarer) になります。世界を探索する舟を造り、霊魂と友だちになって彼らのお世話をしましょう。そして最後には死後の世界へ解放してあげるのです。作物を育て、鉱物を掘り、魚を釣り、収穫し、料理し、神秘の海へ至る道を作っていきましょう。2人での協力プレイでは、猫のダフォディルになって冒険に参加できます。霊魂となった乗客と共にゆったりと充実した時間を過ごし、消えない思い出を作りましょう。そして最終的に、大切な友人とのお別れの仕方を学んでください。
(Steamのゲーム紹介より引用)
こう記されている通り、プレイヤー=主人公ステラは故人の魂を船に乗せ、彼らが死後の世界に旅立てるようにサポートをしてやります。
その中で現れる「乗客」の一人がこの「グスタフ」です。
グスタフは芸術家のキャラとして登場し、彼はステラに画廊の建築を頼んだり、芸術品制作を手伝わせたりします。
- グスタフとの別れにおいて...
ストーリーを進め、彼を死後の世界に送り出す時が来ます。
そして彼はポツポツと自らの考えを述べ始めます。(以下要約)
「世界は原子のランダムな配列に過ぎず、我々の存在や行為自体に目的や意味はない」
よく言われる話ですね。カオス論か何か...
「しかしたった1つの素晴らしい能力として、人間は意味を生み出すことができる」
「我々には創造し体系化する能力があって、カオスの中から目的や意味を作り出してきた(カオスを超越した)」
これもよく言われる話ではあります。
「我々は道具や機械を作り、私もかつてその一部として働いた」
「だが、そうした無数の創造物が意味を持つのはそれが使える間だけだ」
「『私』という道具は使えなくなった瞬間にただの塊に戻り(カオスの一部に還り)、内在する人間性を失った」
「実用性を得ることで簡単に意味は手に入るが、そうした意味はすぐに消えてしまう」
「だが我々の精神の混沌から引き出される芸術は実用性のために生まれるのではなく、ただそれ自体が意味を持つ」
「それは芸術家が消え人類が滅んでも、適切に保存されている限り芸術は残る」
「それは我々が滅んだあと唯一残る意味であり、我々が届き得る超越の形であり、混沌を脱しようとする痛ましい努力なのだ」
なるほどな〜〜〜〜と思いまして。
今まで僕も芸術を見聞きして「綺麗だな」「楽しいな」と思うことはあれど、その普遍的価値を信じていたかと言われれば答えはノーでした。
結局のところ芸術なんて精神の充足のための道具だし、その充足は相対的なものじゃないかと思っていた(まぁ今もそう思ってる節はありますが)のですが、確かに人間の価値を考えた時に、「実用的なもの」は究極的に意味を失ってしまうのは納得がいきます。
「人間の意味」を考えた時、たとえそれが「後付け」だったとしても、たとえその「意味」自体が人間の客観的な目線を介してしか捉えられないものだったとしても、グスタフが話す「芸術の意味」は僕にとって今までで最もしっくり来るものでした。
過去問で「知的存在としての人間は混沌から形を作りだす」という話があって、その問題は「人間の意味」とかに焦点があるものではありませんでしたが、その「形」のなかで最も普遍的に価値を持ち得るものが芸術なのだと、芸術に対する価値観が少し変わった場面でした。
Spiritfarerはグスタフ以外にも結構実のある話をしてくれるので本当にオススメです。
以前と同様漠然とした記事ですがよろしくお願いします。
3/5 道徳教育と個人と共同体
「教育原理」という本を読んでいます。
教育の役割を考えたとき......僕が世界史の授業で聞いたところではフランス革命期に、「国民に与えられた主権を行使できるように国民全体を啓蒙する」ものとして公教育が意味を持っていたと言います。
「共同体のための教育」......とも言えます。
教育というものは、個人を社会へと接近させていくものと捉えられます。
そこで社会というものを考えたとき、そのフランス革命から始まったとされる「近代」においては、社会は個人の利益追求を援助する形です。
それでは「個人のための社会のための教育」なのでしょうか。
結局のところ教育は何のために行われているのか。ヒトは生後すぐは圧倒的に弱く大人の庇護を要しますし、更に高度な社会への適応も要しますから教育は「必ず要される」ものです。
しかし「公教育」ということになると......結局それって共同体と個人、どちらの為に行われているのかハッキリしなくないですか?
どうしてこんな事を考えているかと言うと、「道徳教育」について考えていたんですよね。
「道徳教育」は愛国心だとか、社会的に「道徳的だ」とされる行動だとかをいたいけな児童らに強要するものです(あえてトゲのある言い方をしましたが、僕は何だかんだ不要とも言えないと思っています)から、言わば高度に「共同体のための」科目だと考えています。
でも日本の公教育も普通に欧米流なので、基本理念としては「個人の利益追求の援助」があるはずですよね。
道徳教育というモノは役割がそもそも矛盾している気がしてきました。
じゃあ道徳教育は不要なんですか?って聞かれると、それはまぁ断言出来ないよなぁと。
思いやりだとかが不要なワケはないので。
ここまでほぼ無根拠で、僕の思考の中だけで話を進めています。こういう漠然とした疑問をインターネットやら書物やらだけで解決するのって凄く困難だなって。僕が住んでいる市の図書館はちょっと...蔵書がイマイチかな...。
そう思うと大学に行きたくなってきました。受かってる可能性は低いですが。
特に海外の教育との比較がしたいなと思います。こういうのを日本の中だけで考えるのは難しいし、何かを変革するにしても例が欲しいところですよね。
と、いう漠然とした話でした。またよろしくお願いします。
3/3 美術の価値をようやく理解出来た気がする話
こんにちは。
先日の投稿で一応ストーリーは終わらせた、と言ったゲームソフト「Spiritfarer」。
今日はその中のキャラクターの一人「グスタフ」の言葉からの話です。
- Spiritfarerとグスタフについて
あなたは何を遺していきますか?
Spiritfarer® は死にゆくものをテーマにした、心温かいマネジメントゲームです。プレイヤーは故人を乗せて運ぶ船頭ステラ、魂の旅人 (Spiritfarer) になります。世界を探索する舟を造り、霊魂と友だちになって彼らのお世話をしましょう。そして最後には死後の世界へ解放してあげるのです。作物を育て、鉱物を掘り、魚を釣り、収穫し、料理し、神秘の海へ至る道を作っていきましょう。2人での協力プレイでは、猫のダフォディルになって冒険に参加できます。霊魂となった乗客と共にゆったりと充実した時間を過ごし、消えない思い出を作りましょう。そして最終的に、大切な友人とのお別れの仕方を学んでください。
(Steamのゲーム紹介より引用)
こう記されている通り、プレイヤー=主人公ステラは故人の魂を船に乗せ、彼らが死後の世界に旅立てるようにサポートをしてやります。
その中で現れる「乗客」の一人がこの「グスタフ」です。
グスタフは芸術家のキャラとして登場し、彼はステラに画廊の建築を頼んだり、芸術品制作を手伝わせたりします。
- グスタフとの別れにおいて...
ストーリーを進め、彼を死後の世界に送り出す時が来ます。
そして彼はポツポツと自らの考えを述べ始めます。(以下要約)
「世界は原子のランダムな配列に過ぎず、我々の存在や行為自体に目的や意味はない」
よく言われる話ですね。カオス論か何か...
「しかしたった1つの素晴らしい能力として、人間は意味を生み出すことができる」
「我々には創造し体系化する能力があって、カオスの中から目的や意味を作り出してきた(カオスを超越した)」
これもよく言われる話ではあります。
「我々は道具や機械を作り、私もかつてその一部として働いた」
「だが、そうした無数の創造物が意味を持つのはそれが使える間だけだ」
「『私』という道具は使えなくなった瞬間にただの塊に戻り(カオスの一部に還り)、内在する人間性を失った」
「実用性を得ることで簡単に意味は手に入るが、そうした意味はすぐに消えてしまう」
「だが我々の精神の混沌から引き出される芸術は実用性のために生まれるのではなく、ただそれ自体が意味を持つ」
「それは芸術家が消え人類が滅んでも、適切に保存されている限り芸術は残る」
「それは我々が滅んだあと唯一残る意味であり、我々が届き得る超越の形であり、混沌を脱しようとする痛ましい努力なのだ」
なるほどな〜〜〜〜と思いまして。
今まで僕も芸術を見聞きして「綺麗だな」「楽しいな」と思うことはあれど、その普遍的価値を信じていたかと言われれば答えはノーでした。
結局のところ芸術なんて精神の充足のための道具だし、その充足は相対的なものじゃないかと思っていた(まぁ今もそう思ってる節はありますが)のですが、確かに人間の価値を考えた時に、「実用的なもの」は究極的に意味を失ってしまうのは納得がいきます。
「人間の意味」を考えた時、たとえそれが「後付け」だったとしても、たとえその「意味」自体が人間の客観的な目線を介してしか捉えられないものだったとしても、グスタフが話す「芸術の意味」は僕にとって今までで最もしっくり来るものでした。
過去問で「知的存在としての人間は混沌から形を作りだす」という話があって、その問題は「人間の意味」とかに焦点があるものではありませんでしたが、その「形」のなかで最も普遍的に価値を持ち得るものが芸術なのだと、芸術に対する価値観が少し変わった場面でした。
Spiritfarerはグスタフ以外にも結構実のある話をしてくれるので本当にオススメです。
以前と同様漠然とした記事ですがよろしくお願いします。
3/1 受験終わりました/買ったゲームの紹介
超久しぶりのブログ投稿です。
最後の投稿が11月半ばなの、模試の出来に焦ってる感じが如実に出てて面白いですね(笑えない...)。
- 受験雑感
・国語......不明
・数学......並、或いはやや易の難度かなぁと思います。が、私は恐らく2完を逃しているので穴に埋めてください。
・日本史......並だと思います。軒並み書けたと信じたい。
・世界史......並orやや易。大論述でピンポイントに抜けていた古代史の時間感覚を問われて、かなり汚い答案になった(要素は書けてると思うが...)のが反省点
・英語......並。なのだが、本番の魔物というか...やはり焦ってしまってテスト会の時のようにはいかなかった。反省点。
・総評......浪人可能性評価80%!!!!!
割とリアルに浪人しそうな気がしていますが、とりあえずは10日の合否発表を待ちたいですね...ワンチャン無いことも無さそうな感触なので逆にキツいです。
とりあえず10日までは全てを忘れ、遊興に勤しみたいと思います。
- 購入したゲームや感想
ゲームを買いました。セーブしていたぶん大放出です。
①リーガルダンジョン
韓国のクリエイターが作ったゲーム。ADVっぽいですね。警察捜査モノなのですが、バディミッションやアストラルチェインみたいにアグレッシブに動くタイプではなく、「捜査書類を書く」中で容疑者を明らかにするという変わったアプローチのゲーム。
リーガルダンジョン ダウンロード版 | My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)
②Touhou Luna Nights
Team Ladybugという日本のインディーメーカー製作の2Dサイドビューメトロイドヴァニア。「Touhou」の名を冠することから分かるように、東方プロジェクトの二次創作です。主人公の十六夜咲夜を操作して「ルナナイツ」の謎を解き明かす!というもの。
上手く東方のシステムを横スクアクションに取り込めてるのが凄いな、という感じですし、メトロイドヴァニアのファンからの評価がすこぶる高いのでずっと気になってました。東方曲のアレンジになっているBGMもめちゃくちゃ良い。ドット絵もハイクオリティ。早くやりたいです。
Touhou Luna Nights ダウンロード版 | My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)
③Phoenotpia(フェノトピア)
2Dサイドビューアクションアドベンチャー。リンクの冒険から強く影響を受けてるとか。
とにかくドット絵とBGMのクオリティが高くて、それだけで購入してます。どうもSwitch版で得たフィードバックをSteam版に反映しているらしいのでSteamで買いたかったのですが、"""""Windows限定"""""だったので断念してSwitchで買いました。多分最後にやります。
フェノトピア ダウンロード版 | My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)
④CrossCode(Steam版)
もともとSwitchでやっていた、クオータービューアクションアドベンチャーです。「MMORPGの世界に生まれ落ちた主人公『レア』が自身の記憶を取り戻すために冒険する」というあらすじ。最初はちょっと陳腐に聞こえたのですが、やってみたらとても意味ある世界設定でした。
あとは「レア」の造形が素晴らしい。彼女は「ゲーム上の不具合」として言葉を失っていて、「レア」「やあ」「はい」「いいえ」「どうして」「どうやって」などの僅かな単語しか話せません。しかし、だからこそ感情がより豊かに伝わってきますし、身振り手振りが本当に可愛い......。必死に伝えようとするのが...健気で......。
で、Switch版の満足度が結構高かったのですが一点だけマズイところがあります。
それは「未完だった」ということです。(致命的すぎる!!!)
ですが先日DLCでようやく続きが配信!!!Switchは半年遅れる!!?待てないのでSteam版を買います。という感じで購入。
RTAも出来るし!因みにこのゲームのバグ技はかなりゲームを破壊してて面白いので検索してみてください。
CrossCode ダウンロード版 | My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)
⑤spiritfarer
サントラを聴いて購入。
Max LLの「Spiritfarer (Original Soundtrack)」をApple Musicで
昨日クリアしました。まだまだやり込めると思いますが、他にも山ほど積んでるのでとりあえずエンディングだけ。
このゲームはまず構造が綺麗です。
「魂たちと出会う」→「魂たちから何らかの教導を受ける」→「魂たちと触れ合う」→「魂たちの未練を解決し、別れの時を迎える」→「別れた魂たちが更なる強化のためのアイテムを残す」→「次なる魂と出会う」というゲームの構造になっていますが、これは「誰かと出会う」→「出会いを通して成長する」→「彼らと触れ合う」→「彼らと別れる(それは死別かもしれないし、失踪かもしれないし、単なる離別かもしれない)」→「別れが更に僕らを成長させる」という「人生の構造」とリンクしています。これは多分意図的ではないかと。この構造がとても美しいと思いました。
あと、ネタバレは「かなり」このゲームの面白さを損なうので省きますが、spiritfarerというゲームが「ゲームであること」には意味があります。これも構造が綺麗、ということです。
かなりオススメのゲームですが、ローカライズがかなり堅いので原語でやれる人は原語でやる方がいいと思います。
僕はアトゥルとグスタフの別れが好きです。
Spiritfarer® ダウンロード版 | My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)
⑥ゼノブレイド Definitive Edition
買えた〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
説明不要じゃないですか?ずっと欲しかったので中古で購入。
⑦ウィッチャー3 ワイルドハント
これも、買えた〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
オープンワールドRPGですね。その完成系との評価もある大作なので楽しみです。実はあまり前情報を調べていないので完全にまっさらな状態でプレイ出来ます。楽しみだ......
出ました。発売日、驚異の2/26(入試2日目当日)。何かの天啓かと思いましたね。まさに「買え」と言われているかのようだったので買いました。正直「ブレイブリーセカンド」が微妙〜〜だったので直前まで迷いましたが、IGN本国版の記事の感触が悪くなかったので決意(この記事はブレイブリーシリーズが「古臭いJRPG」を目標に作られていることを理解して書かれているのが良かった)。今2章の後半ですが、現状面白いです。ただ、まだイマイチ盛り上がりに欠けますかね。今作はジュブナイルではないので、「成長」を軸に据えづらいような。
オリビア!君が死んで見せ場を作れ!
尻上がりに盛り上がるのに期待。
バトルはやはり面白いですね。カウンターとジャマーは人によって評価分かれそうですが、僕は緊張感があって嫌いじゃないです。
あとは、声優の演技が相当上手いな、という感じです。主人公sは武内駿輔氏、嶋村侑氏、井上和彦氏、ゆかな氏ですが、本当に全員上手だな...と。まぁ結構有名ですし当然ではありますが!
エルヴィス(CV井上和彦)(35歳)とアデル(CVゆかな)の関係性が良き(オタクスマイル)。
以上8点。我ながら買いすぎな気がしますね。多分保たせようと思えば1年これで保ちます。
とりあえず合否発表まではこれらのゲームに勤しみ、人間のクズとして生きていくつもりです。あと、浪人してもしなくても来年はブログをコンスタントに書いていきたいな。明らかにブログ書くのをやめてから現文の成績が落ちました。日常的に文章を書くのは大切なことだと思います。
教師よりブログが大切だった!!?(暴言)
今回は趣味記事ですが、今後はまた真面目な記事も書いていきたいですね。
どうぞよろしくお願いします。