"The Red Strings Club"備忘〜思索に対するゲーミフィケーション

このゲームを起動すると、主人公の一人、ブランダイスが赤い血を糸のように垂れ流して高層ビルから落下している......というシーンから始まる。

すぐに場面は転換し、場末のバーでピアノを弾くブランダイスの姿、そしてバーのマスターでありもう一人の主人公、ドノヴァンが登場する。どうもドノヴァンが作るカクテルは特別で、飲んだ者の感情をコントロールできるものらしい。ドノヴァンがブランダイスにカクテルを出し、ブランダイスが心境等を語る中、破壊されたアンドロイド、アカラ184が店に入り込む。そのただならぬ状態に興味を覚えたブランダイスがアカラの記憶を覗くと、街を支配する巨大企業「スーパーコンチネント社」による「人類精神総書換え計画」が判明。ブランダイスとドノヴァンは協力して、ブランダイスは店の外、ドノヴァンは店の中、ーー客の感情を操作して情報を引き出すことでーーこの陰謀に立ち向かうことを決意する。

 

本文章はこうしたあらすじの"The Red Strings Club"という作品が、いかにして我々が特定の問題に対して思索し、内省する過程を「ゲーミフィケーションしている」ゲームなのかということについて考えるものである。ただ、あくまで備忘録的に書いているものなので、綺麗な文章は期待しないで頂きたい。いや...本当は綺麗に仕上げたかったんですけど...ちょっと他にやりたいことできちゃったので...。なお、ネタバレにはほとんど配慮していない。

 

①プレイヤーはまず一つの主体として位置付けられる

このゲームの「ゲームプレイ」の部分...すなわち、「プレイヤーが介入できる」部分は、先に述べたブランダイスに出すカクテルの作成から始まる。

カクテル作成が始まると、画面に靄がかかっている。

そこでドノヴァンは我々プレイヤーに対し「ニューメン」と呼びかけ、

「...感覚を収穫せし者よ、汝の力を我に与えよ。」

「赤い糸を編み、この手を導き、埋もれた感情と同期するために。」と述べる。

同時に靄は消え去り、ドノヴァンによるカクテル作成のチュートリアルが始まるのである。

このゲームにおいて、赤い糸は運命のメタファーだ。それは、こうしたADVゲームにおける「タイムライン」が赤い糸を彷彿とさせる描かれ方をしていることなどから読み取ることが可能だろう。

この瞬間我々プレイヤーは、自ら運命を手繰り寄せる物語の主体に誘い込まれるのである。

この事実は、初回プレイでは気付き難い。私も初めは「なんかこっちに語りかけてきて、『クリック』だのなんだのと説明的なチュートリアルが始まったな...。」と思ったものの、見返せば、このカクテル作成が行われる全てのシーンは...エンディング後のシーンも含めて...プレイヤーに完全に委ねられていることが分かる。つまり、このカクテル作成においては「ドノヴァンの行動にプレイヤーが介入している」というよりも、「プレイヤー自身が全工程を行っている」と見ることができる。

これは、即座にプレイヤーになんらかの影響を与える描写とは言えないが、作品全体の姿勢を示したものだと考えられる。このゲームは開始5分と経たずに、「これはお前が手繰る赤い糸の物語なのだ」と表明しているのである。

 

②「諦め」を実感させる

ドノヴァンがカクテルを飲んだら、次はアカラの記憶を覗くシーンになり、プレイヤーもアカラを操作してその記憶を追体験することになる。どうもアカラはスーパーコンチネント社のインプラントクリニック、肉体に生体物質を埋め込んで感情や精神を操作するインプラントの作成や埋め込みに従事していたようだ。

三人のクライアントは、「もっと人気者になりたい」だとか、「もっと出資者を集めなければ」だとか、「批判が怖い」といった状況を感情や精神の操作によって解決しようとしていて、アカラ...そしてプレイヤーはその解決のために、「カリスマの強化」「説得力の強化」といったインプラントを埋め込むのである。

三人目のクライアントへの埋め込みを終えると、四人目のクライアントが現れるのだが...どうも一人目のクライアントと同じ人物のようだ。どうやら、最初に埋めたインプラントは効果を発揮したが、更なる効果を求めてやって来たようだ。なるほど、では今度はこちらのインプラントを試そう......今度は解決できると良いのだが。そうして五人目のクライアントを迎えると、どうやら二人目と同じ人物のようだ。どうやら.........あとの展開は察しがつくだろう。

何度様々なインプラントを試しても、彼らは何か問題にぶち当たったり、欲求を深めたりして、終わりが見えない。そしてプレイヤーが最後に取る選択肢はプログラム上決まっている。人気者になりたい者から承認欲求を消し去り、富貴栄達を求める者から出世欲を消し去り、批判を恐れる者から外界との接触を断つ。そうしなければ、ゲームは先に進むことがないのである。

ここで、スーパーコンチネント社が行おうとしている精神書換え計画について説明しておくと、彼らは総人口の半数以上に埋め込まれている体内インプラントを通して彼らの感情を抑制し、絶望や激しい怒りを消し去り、より幸福に生きられるようにしようとしているのである。人間の感情やその自由を愛するドノヴァンはこの計画に否定的で、ゲーム内でもこの行為の是非についてバーの客と議論を交わしたり、アカラに意見を述べたりする。

しかしこのシーンでプレイヤーは、クライアントの抱える問題の解決を諦めて、そもそも欲求の源になっている感情そのものを廃する選択を強いられる。言わばこれは、「ドノヴァンは計画に否定的だけど、実際書き換えちゃった方が幸せかもよ」という選択肢の提示であり、同時に、「現代の諸問題は根本的解決など不可能で、非道徳的な精神の書換えによって幸せな結末を与え得るかもしれないよね」というゲーム側からの囁きのようなものだと感じた。プレイヤーはこのシーンを通して、書換えという手段から逃れることを「諦め」させられる。

 

③初めに判断材料を与える

さて、三人のクライアントを片付けた...続いて企業の重役が来るらしい。「彼らの欲求をそのまま満たせ」と言われたから、感情を消し去ってしまうようなやり方はダメなのかも...そんなことを考えながら「占い師」とされている次のクライアントにインプラントを埋め込もうとすると、突然そのクライアントが目を覚ます。そして、インプラントを改竄して、占い師の次にやって来る企業の重役たちが企業に対して不利益を働くように仕向けようと試みる。

このクライアントはアリアドネという名の女性で、巨大企業に対するレジスタンス的な活動を行っているようだ。同時に、彼女の所属する組織はアカラを所持していて、彼らが持つ「感情」を高く評価しているらしい。アリアドネは聞きたいことがあれば何でも聞けと言うので、色々と話を聞いてみることにしよう。

「なぜ私(アカラ)に感情があると思うのですか?」

するとアリアドネは志向性だとか、創造性だとかを心の要素として取り上げて、「感じる力」がアカラにあると説明する。wikipediaを引用して、

この会話は、今後我々プレイヤーが精神操作の是非について考える際に、まず「精神・感情・心とは何なのか」と言う情報を持てるようにしている。前提知識を持って、プレイヤーの意志で選択させよう、思考させようという意識があるのではないかと思う。

アリアドネ」の名も示唆的と言えるかもしれない。「赤い糸」を一つのテーマとするこの作品で、「アリアドネの糸」で有名なこの名をこの場面で登場させるのには訳があると考えて良いだろう。ラビリントスに挑むテーセウスに、迷宮からの脱出のため渡されたアリアドネの糸である。この作品でも、アリアドネはアカラがインプラントクリニックの外へ出るきっかけである。または、彼女自身が混沌とした社会の迷宮から脱出する術を大衆に与えたいと願っていたのかもしれない。同時に、我々プレイヤーが思索の迷宮に囚われないようにする手がかりの役割を果たしているのではないだろうかと思うのである。

とは言え、このすぐ後に計画の真相を知ったアリアドネはクリニックの警備システムにアカラ共々射撃されて死んでしまうが。

 

④そもそもゲームが模されている

この記事を書いている途中で下記の記事を見つけた。短く分かりやすくまとまっているのでまずはこちらを読んで頂いた方が良いだろう。

note.com

アカラがゲームデザイナーに当たることはプレイすれば自明に分かるが、ドノヴァンがプレイヤーで、ブランダイスが主人公であるという構造は目から鱗であった。

アカラはドノヴァン(プレイヤー)と客との会話が終わった後、客の感情はどのようなものであったのか、そして特定の問題に対してドノヴァン(プレイヤー)がどう考えているのかを、「ゲーム形式」で問うてくる。アカラ本人が、「ゲームというのは人間が学び、成長するための最も原始的なツールのひとつです」と述べて、クイズゲームの形式で客の感情をドノヴァン(プレイヤー)自身が導けるようにすると共に、ドノヴァン(プレイヤー)自身がどう考えているかを知ることも可能にすると言うのである。(そしてクイズの正答数によって物語で取れる選択肢が増えたりもする。これはアカラがドノヴァンに新たなスキルや情報を与えたりする事によるのだが、これもまたアカラがゲームデザイナーの立場であることを示しているだろう。そしてドノヴァン自身も「まるでRPGかなにかだな」と述べる。)

こうした情報を鑑みれば、私がこのように長ったらしい文章を書かずとも、このゲームが思索をゲーム化していることは誰にでも分かることとも言えるだろう。

ただ、上記ブログの考え方に基づくと、もう一人の特徴的な人物「ゴスト」にどのような役割を当てるべきか悩ましい。彼はゲームマスターであるはずのアカラに知覚されることなく近づいた「イレギュラー」であり、彼がゲームにおいて何の役割を果たしているのかは更なる考察の余地と言えよう。(何だろう、modとか?(適当))

 

⑤例え話が「我々プレイヤーにとっての現代」に合わせられている

これをゲーム内で見た時はかなり驚愕した。このゲームの世界観はいわゆるサイバーパンクである。こういった世界観におけるデバイスは、多くの場合未知の高性能デバイスだったり現代から見ればオーパーツ的だったりするが、このゲームにおいて「アップデートを常に要求されるもの」の例として登場するものは「iPad」であるとか「プレイステーション」であるとか「電子レンジ」であるとか、とにかく我々にとって身近なものだ。開発者が「このソーシャル・メンタル・ケアに関する問題を、プレイヤー自身の立場で考えて欲しい」と思っているであろうことが窺える表現である(補足しておくと、これらの例えから、「適切な動作のために人間の補助機能をアップデートするに過ぎない」という主張に繋げられている)。

 

 

なんか途中で力尽きたのでとりあえず上げときます。また気が向いたら加筆修正する気がする。思いつくままに書いたので構成がぐっちゃぐちゃですが読んでいただけたなら幸いです。