10/26 T先生と数学への僅かな感動

・T先生のお便り

我が校に勤務する数学科のT先生はかなりお年を召した大先生なのですが、この先生は定期的にお便りを発行しています。このお便りがまぁニッチな話題......まぁT先生は数学の中でも数論とかいう激ややこし分野を専攻してらしたようなので当然かもしれませんが、まぁニッチで数学的かつ哲学的な話題を提供してくれます。

本日配られたお便りは先週も配られた「弁証法と数学」の後編でした。

弁証法、特にヘーゲル弁証法は、「正(テーゼ)」と「反(アンチテーゼ)」という相反する2つの事象を止揚......双方を保存しながら発展させて「合(ジンテーゼ)」と為すというもの。倫理の授業を思い返すと、確かヘーゲルは社会はこれを繰り返して発展した〜とか言ってた気がします。

T先生はお便りの中で、「ピタゴラス三平方の定理を発見したが、その結果、斜辺の長さに存在しない数が生まれてしまった(√2など)」(相反する事象「存在しないものが存在する」)ために、「実数」という概念を導入し、「無理数」という概念によって「存在しない数」を解決した......と例を示しています。例から難しいのですが...数学は難しいな!(文系並感)

数学は基本的に形式論理......三段論法のような、形式化され、十分に検証されたやり方で進められるそうです。ですがそうしているうちに「矛盾」が生まれるため、矛盾を解決する為に「弁証法」を導入することがあるのだそう。形式論理と弁証法は別の論理として互いを補完していて、どうやらそれは数学に限った話でも無さそうです。社会生活において発覚した相反する2つの事象の存在は、どうにかその双方を保存しながらより発展していくと。

T先生はここで問題提起。

「形式論理は数学として検証されているが、弁証法は未だ検証がされていない」

つまり弁証法が正しいか分からないんですね〜。そんなのアリか!?

現代では大量のデータが扱えるので、必然的に矛盾に遭遇する頻度も高くなり、矛盾を排除して進むだけでは間に合わなくなってしまう。だから弁証法を分析し、形式化し、検証しなければならない...!! 今までこのお便り理系向けだと思ってたんですけどゴリゴリ文系向けな気がしてきました。

実際のところ、「真偽がハッキリしないもの」=「曖昧なもの」って「真偽が明確なもの」よりずっと多いですよね。自分の身の周りだけ見ると存在も明確、その「動き」の理論も物理学とか言われていて明確...と、明確なものの方が多いように感じますけど、地球全体、宇宙全体に視野を広げれば、きっと未だ不明なものの方がずっと多いのでは無いのでしょうか?だいたい、数百万年前に恐竜が絶滅したのは「隕石」のせいだ!なんてのも、つい最近までハッキリしていなかったという話ですし。日本人は「物事を曖昧で済ませておく」周囲との折り合いの付け方が国民性とも言えますからあまり突っ込まない方がいいのかもしれませんが。

T先生も、先程の「実数」の例を取り上げて、「実数を研究したところ、存在のハッキリする有理数は、ハッキリしない無理数よりずっとずっと少ないことが分かっている」という点から「真偽」がハッキリするものはずっと少ないかもしれない、と述べておられました。(数学者の思考は論理的で感動します)

矛盾がある故に真偽を明確化できないものを、その矛盾を保存しつつ昇華させる「弁証法」とやら...不思議ですけど面白いですよね。僕ももっと数学ちゃんとやれば良かったなあと今日初めて思いました。

このT先生は僕の想像なんかよりずっと超スケールの想像をしていらして、「弁証法を検証できれば、形式論理と弁証法という相反する論理に弁証法を適用して、また新しい論理が生まれるかもしれない」だそう。

......何も分からん。何も分かりませんが、確かにワクワクする響きではありますね。全く新しい論理、その先には全く新しい事実が待っているかもしれないわけで。

いや〜ABC問題?みたいなのが話題になった時も思いましたが数学者って本当に頭良い...頭良いという言葉では世の常という感じですが、トンデモない人達なのでしょうね......。

そんなわけで今日は数学への憧憬が少しばかり生まれました。おわり。