11/10 きょうだい関係の近しさ

僕には姉が一人います。姉はかなり激しめの反抗期を経たので反動で僕の反抗期が超大人しかったり、奴が勇敢にもリビングでアニメを見ていたが為に僕に伝染してたりと、まぁそこそこ影響を受けて育ってきたわけですね。

そんな姉もそこそこの年で、大学に行って一人暮らししているわけです。先日少し実家に戻ってきまして、やはり懐かしく嬉しい気持ちになるものだなぁと思いました。

ところで、アジア文化圏には「きょうだいの契り」とやらがあるじゃないですか。「親子の契り」もありますかね。同じ杯を酌み交わし義兄弟となる......みたいなのは三国時代の中国で既に盛んだったらしいです。

僕の中ではちょっと任侠っぽいイメージなんですよね。組長と組子が親子の契りを交わし、同胞と兄弟の契りを交わすぜ......的な...。あと最近だとFE風花雪月をやった時に、5年後のクロード君が理想を同じくする先生である主人公へきょうだいの呼称を使いますね。

ここで何が言いたいかというと、同じ血縁関係でもやはり「親子」は朱子学的な主従的関係を抜け切れないのかもなぁ、と考えたのです。

親子の契り、とやらは単純な「主従関係」を「血縁的関係」を模した強い関係に仮託するように思えます。対してきょうだいの契りは「同胞」だとか「仲間」だとかの関係を血縁的関係に仮託して強固にするみたいな感じですかね。

つまり「きょうだい」はどこか「仲間」の延長の側面を有していると言えるかもしれません。

こと日本において、惣領が成立してからか朱子学が主流となってからかは分かりませんが、親子関係というのはどうしても上下関係になるものです。いくら先進性を自負し対等性を支持する家庭でも、どうしても僅かにこうした上下関係が現れてしまうのではないかと勝手に想像します。なので、「きょうだい」に親近感の側面では勝てないですよね。庇護者としての強さはあれ、そこに立場の対等性は無いですから。まぁそもそも同時代に似たような生活をして暮らした、というのがまず一番に大きいのだろうと思いますし、そもそも円滑な兄弟関係の家ばかりじゃないでしょうから、これを一般化して述べるのは非常に危険だと自分でも思いますが!

ちょっと最近は両親への苛立ちが重なっているというか、正直うちほど寛容な両親に苛立つのはどうなんですか?と僕の理性が叫びはするのですが、まぁなんと言うか......ちょっと老けた!言動がアラフィフなんですよね...まぁアラフィフだからなんですけど......。で、そういうのって若者には大抵耐え難い.....耐え難くないですか?そんなこんなで、僕に比べてはっきりものを言う姉のことを思い出し「助けてくれ〜〜」などと思っていた為にこういう文章を書いているわけです。

「きょうだい」は「同じ時代に生きた」こともあるでしょうが、「仲間・同胞の延長」である側面故に、親子とは少し違う近しさを感じるのかも?というそんな推測でした。