10/29 日本語は議論に不向き?:コメントへの返事を兼ねて

こんばんは。なんと初めて見ず知らずの方からコメントが来ましてビックリしちゃいました。

 

・コメント

コメントを頂いたのは2週ほど前にした悪辣な愚痴......正当性と議論不能性への愚痴でした。

コメントを下さった方によりますと、

①日本人が正当性を理解しづらいのは、(明治維新の影響もあり)日本の慣習と日本の法が噛み合っておらず、「慣習」(暗黙の了解やらなんやら)と「法」の2つの正当性が混在しているから......とのこと。(ちゃんと捉えられてるか分からん〜〜〜)

②そして議論が出来ないのは、そもそも日本語自体が、責任の所在が不明確で議論に不向きだから......とのこと。

 

なるほどな〜〜って感じです。①なんかは全面的に納得しました。如何せん僕は言語化が不得手なので、何とな〜く感じているようなことを言語化して頂けると非常に助かります。

 

ところが②......納得する面はありますが、僕は全面的に納得という感じではありません。日本語が議論に向かない、というのは、「即興の議論に向かない」ということに過ぎないと思うのです。

日本語は主語が無くても成立しますし、文末まで聞かなければ「opinion」なのか「fact」なのかもハッキリしません(正直聞いてもハッキリしない)から、責任の所在が曖昧になるのはまさにその通りだと思います。だから即興の場では意見整理がしづらい。いわゆる「ディベート」をやろうとすると「場」を整えないといけません。

しかし日本人が議論を出来ない根本的な理由は、それこそ①で出たように「暗黙の了解が強い」からだと僕は思うんですよね。明確にものを言うと白眼を向けられる、「出しゃばるな」みたいな暗黙の了解。僕もこのブログはかなり濁した言い方しかしませんし。敵作りたくないですからね......。

「ハッキリものを言わない」はもう文化なのでどうしようもないでしょう。ただ、僕は「ハッキリものを言うこと」がディベートの前提条件とは思えないのです。曖昧な言い方、真偽のはっきりしない言い方、どっちつかずの言い方......そこには当然2つ以上の考えが含まれます。いわゆる「ディベート」......「欧米式のディベート」って、ほぼ必ず「肯定」と「否定」に分かれるじゃないですか。ですから、国際的な「ディベート」の場面では日本人は大いに遅れをとるのだと思います。しかしながら日常的な議論の場で、必ずしも片側の意見を持たなければならない道理はないでしょう。2つの意見を持ちつつ、どちらがより良い案なのかについての議論を重ねる......そこに対立が存在する必要は無いと思うのです。まぁ「ディベート」って「議論における論理能力」を涵養するためのものという性格があるように感じるので、一概に比べるのは非常に浅慮な気がしておりますが。許してください......。

要は、僕は「日本式ディベート」の可能性を探りたいのです。「ディベート」というとマズいかもしれまんね。「日本式意見統一」でしょうか。もちろん議論が起こる以上初めには意見対立の軸が存在するのでしょうが、それを可能な限り融和へ近づけるための手段が必要だと思うん のです。

日本人の「奥ゆかしさ」を重んじる文化を持ちつつ、同時に議論ができるような、そういうセオリーが必要ですよね。日本にただ欧米式ディベートを持ち込むだけでは、それこそ「法」と「慣習」の二重正当性みたいになってしまうと思いますし。

まぁ、完全に理想論で「じゃあどうすんの?」って言われたら詰むんですけど!(そのために大学行くんだよ!)

 

兎にも角にもコメントを頂けて嬉しかったです。やはり完全に理論立った意見を書くのは困難でした...許してください......。結局理想論になってしまいましたが。名も知らぬ人ですが、どうぞまたよろしくお願いします。

10/28 SNSは「他者」としての世界なのか

今日解いた現代文かなり調子良かったの、定期的にブログ書いてるからでは?(USDX希望的観測)

 

・本日の現代文

本日の演習は2019年度東大第4問、あの是枝裕和氏の随筆でした。

筆者の「迷子になった」幼き日の体験を回想し、その回想から「迷子は、人が大人になる過程で体験することを幼ながらに否応なく経験させられるという出来事」と述べます。

迷子になったとき人は、自身を無条件に庇護してくれる大人の存在を失い、自身を気にかけず関心もむけない「他者」である世界に1人で向き合わねばならない。「孤独」を受け入れねばならない。そしてそれは、人が大人になる(保護者を離れ、一人で生きていく)過程でも経験される......とのことです。

それには当然、痛みや苦しみが伴います。

 

SNSと「他者」としての世界

SNS......あるじゃないですか。SNSの中でフォロワーと(バーチャルに)親密になることもあるじゃないですか。そして、言わば仮想上の(正直都市部住民同士だと最早仮想じゃないのでは?とも思いますが)友人となった彼らは、互いを気にかけ、互いに関心を向ける者も多いわけです。このとき、誰もが「他者」で、あらゆる苦痛を孤独に、自分一人で受け入れなくてはならなかった「他者」としての世界の中に、最早「他者」ではない者とのネットワークが築かれていると言えるような気がします。

これについてどう思いますか?多くの人が「それでは大人になれない」と言うかもしれません。しかしながら僕はやはり「それも悪くはなかろう」と思いたいです。僕がまだ子供である故かもしれませんが。

共助は人間社会の基本!!1万年前以後にヒトが農耕を始めてから......否、その以前、狩猟と採集で暮らしていた時から人々は共助によって暮らしていたわけです。

確かに、大人になれば人は多くのことを1人でこなさなければならないでしょう。助けてくれる人が常にいるとは限らない中、1人で生きる力を身につけなければならないでしょう。

しかし、だからといって「孤独」である必要があるのでしょうか?「孤独」を受け入れなければ果たして大人になれないのでしょうか?

「孤独」に耐える力もかなり必要なのだとは思いますが、大人になれば人は「孤独」......というのは少し違う気がします。むしろ、核家族化やら何やらで共助の機会を失った社会において、仮想世界の中で相互の「庇護者」を設定することが可能だという一面がSNSにある、と考えた方がいいのかも?共助が、非常に一面的な見方とはいえ、復活しているのではないか...。人は、個人主義化とかの影響で「孤独」になりがちだった中で、「孤独でない」を選べるようになったのかもしれません。

そう考えると、SNSも悪い事ばかりではないと思えますよね。何かと叩かれてばかりですけど、正直多くは利用者側の問題って感じですし......。SNSマナーを教える前に社会マナーを教えなさい。(教育学志望並感)

とまぁ、そんなことを考えておりました。久しぶりに真面目なことを書いたかもしれない......。読書を積極的にしてこなかったので、その日その日の現文なんかが話のネタとしては最強ですね。またよろしくお願いします。

10/26 T先生と数学への僅かな感動

・T先生のお便り

我が校に勤務する数学科のT先生はかなりお年を召した大先生なのですが、この先生は定期的にお便りを発行しています。このお便りがまぁニッチな話題......まぁT先生は数学の中でも数論とかいう激ややこし分野を専攻してらしたようなので当然かもしれませんが、まぁニッチで数学的かつ哲学的な話題を提供してくれます。

本日配られたお便りは先週も配られた「弁証法と数学」の後編でした。

弁証法、特にヘーゲル弁証法は、「正(テーゼ)」と「反(アンチテーゼ)」という相反する2つの事象を止揚......双方を保存しながら発展させて「合(ジンテーゼ)」と為すというもの。倫理の授業を思い返すと、確かヘーゲルは社会はこれを繰り返して発展した〜とか言ってた気がします。

T先生はお便りの中で、「ピタゴラス三平方の定理を発見したが、その結果、斜辺の長さに存在しない数が生まれてしまった(√2など)」(相反する事象「存在しないものが存在する」)ために、「実数」という概念を導入し、「無理数」という概念によって「存在しない数」を解決した......と例を示しています。例から難しいのですが...数学は難しいな!(文系並感)

数学は基本的に形式論理......三段論法のような、形式化され、十分に検証されたやり方で進められるそうです。ですがそうしているうちに「矛盾」が生まれるため、矛盾を解決する為に「弁証法」を導入することがあるのだそう。形式論理と弁証法は別の論理として互いを補完していて、どうやらそれは数学に限った話でも無さそうです。社会生活において発覚した相反する2つの事象の存在は、どうにかその双方を保存しながらより発展していくと。

T先生はここで問題提起。

「形式論理は数学として検証されているが、弁証法は未だ検証がされていない」

つまり弁証法が正しいか分からないんですね〜。そんなのアリか!?

現代では大量のデータが扱えるので、必然的に矛盾に遭遇する頻度も高くなり、矛盾を排除して進むだけでは間に合わなくなってしまう。だから弁証法を分析し、形式化し、検証しなければならない...!! 今までこのお便り理系向けだと思ってたんですけどゴリゴリ文系向けな気がしてきました。

実際のところ、「真偽がハッキリしないもの」=「曖昧なもの」って「真偽が明確なもの」よりずっと多いですよね。自分の身の周りだけ見ると存在も明確、その「動き」の理論も物理学とか言われていて明確...と、明確なものの方が多いように感じますけど、地球全体、宇宙全体に視野を広げれば、きっと未だ不明なものの方がずっと多いのでは無いのでしょうか?だいたい、数百万年前に恐竜が絶滅したのは「隕石」のせいだ!なんてのも、つい最近までハッキリしていなかったという話ですし。日本人は「物事を曖昧で済ませておく」周囲との折り合いの付け方が国民性とも言えますからあまり突っ込まない方がいいのかもしれませんが。

T先生も、先程の「実数」の例を取り上げて、「実数を研究したところ、存在のハッキリする有理数は、ハッキリしない無理数よりずっとずっと少ないことが分かっている」という点から「真偽」がハッキリするものはずっと少ないかもしれない、と述べておられました。(数学者の思考は論理的で感動します)

矛盾がある故に真偽を明確化できないものを、その矛盾を保存しつつ昇華させる「弁証法」とやら...不思議ですけど面白いですよね。僕ももっと数学ちゃんとやれば良かったなあと今日初めて思いました。

このT先生は僕の想像なんかよりずっと超スケールの想像をしていらして、「弁証法を検証できれば、形式論理と弁証法という相反する論理に弁証法を適用して、また新しい論理が生まれるかもしれない」だそう。

......何も分からん。何も分かりませんが、確かにワクワクする響きではありますね。全く新しい論理、その先には全く新しい事実が待っているかもしれないわけで。

いや〜ABC問題?みたいなのが話題になった時も思いましたが数学者って本当に頭良い...頭良いという言葉では世の常という感じですが、トンデモない人達なのでしょうね......。

そんなわけで今日は数学への憧憬が少しばかり生まれました。おわり。

10/25 カルチャーへの感謝

昨日はサボりました。お前は弱い人間だ!お前は弱い人間だ!お前は弱い人間だ!と三唱して戒めを加えたので許してください。

 

・Russia Beyondより

ロシアの小都市に住む人たちはどのようにして鬱と闘っているのか? - ロシア・ビヨンド

赤いですね〜〜〜このサイト!まず断っておきますが僕は決して共産主義者ではありません。よく間違われるので......。アジアとはまるで違い、かつ我々が日々触れている西欧文化とも妙に違う東欧の文化や、いわゆる「おそロシア」と言われるようなハチャメチャエピソードが好きなだけで、決してロシアの政治体制が好きな訳では無いのでよろしくお願いします......。

はい。それで、僕の愛読サイト「Russia Beyond」さんです。「クッキーを受け入れる」の赤字が余りに怖くて僕も未だ押すことが出来ない、胡散臭さタップリのサイトですがロシアの文物を色々と紹介してくれてる......というかまぁ手軽に知れるサイトをここしか知らない感じですね。

基本的に見出しを見て気になった記事くらいしか読みませんが、本日のオススメ記事に出ていた1年弱前の記事「ロシアの小都市に住む人たちはどのようにして鬱と闘っているのか?」は久々に琴線に触れる感じがして一読したのですが......。

f:id:Raynakaji:20201025235156j:image(Russia Beyondより)

初っ端から詩的だなぁ......。ロシアの極北には「極夜」......日中でも太陽が沈んだままの日がままあるようでして。その暗鬱とした光景が鬱などの精神疾患を引き起こすことが多いそうです。

続きを読むと、どうやら鬱の原因は酷寒や極夜だけではないようです。ロシアの小都市はインフラが発達しておらず、更にインフレも酷い様子。子供を散歩に連れていくにもマトモな公園すら無いと言うのですから相当ですよね。更には足尾銅山を彷彿とさせるような汚染都市も残存しているみたいですね。

因みに極夜での気分の落ち込みに対処するには、暖かい服を着て温かい食事をして、しっかり睡眠を摂ること。そして夜明けを再現出来る灯り付きの目覚まし時計が勧められています。こういう時計って梅雨時とかに欲しい人まぁまぁいそうですよね。

ロシア人の陰鬱性に関してはこちらの記事もオススメ。

なぜロシアは頗る陰鬱なのか - ロシア・ビヨンド

この記事に書いてあることは結構面白いのでいずれ話題にしたいです。

鬱の話自体はこのくらいにして。

 

・学生「普通の住宅地、いくつかの学校、幼稚園、工場。教会が2つに礼拝堂が1つ。ここに暮らす人々は素朴で、悪い人ではない。ただ疲れ切っている。でも、疲れていない人なんてどこにいるのでしょう」(この学生は教会での祈祷や美しい自然によって心の調和を保っているそう)

・電気工「どうやって自分自身と闘うことなどできるのですか?なんのために闘うのでしょう?ここでわたしたちは必死に生きているわけではなく、満足した生活を送っています。ロシアの他の地方都市と同じようです」(どのように憂鬱な気分に対処しているか問われての応答)

(以上、上記の記事より抜粋)

こういう感情は多くの現代人には通ずるものがあるような気がします。

別に苦しい生活を送ってるわけではなく、苦境に立たされているわけでもない。それでも何だか疲れた気持ちがするし、世界の大きな流れに対して憂鬱な気分になることもある......。僕もブログ書き始めてからは何となく思ったことを吐き出せているような気がして、憂鬱な気持ちもほとんど無くなったと言ってもいいのですが、2週間ほど前の自分を思うと大いに共感できます。

ロシアのある学生が信仰や美に調和を見出し、僕が思考の吐露に調和を見出したように、憂鬱の解決には何らかの心の調和が必要なのかもしれません。心理学はあまりにも埒外なので何も分からないのですが。電気工が言うように「自分自身と闘うことなど不可能」ですから、外的なものに解決を見出すほか無いのだろうとは思います。

その点この国は娯楽に満ち溢れていますから、外的なそれはかなり見出しやすいのでは無いでしょうか?そう考えると、やはり日本は何だかんだ言っても恵まれてるように思えます。明確な文化、明確な国民意識、溢れる娯楽、溢れるブラック企業?まぁ一つ一つの問題に目を向けていてはどうにもならないので考えないことにしましょう。

カルチャーへの感謝を感じた日の感想でした。

10/23 〆ギド君のメインストーリー(ネタバレ大)

昨日の夜、唐突に本日の追加が発表されたメギド72メインストーリー8章3節......前回までは追加に向けて計画を立て、然るべき課題をこなしてから当たっていましたが今回はそれが不可能という絶望的状況でした。しかしながら今日は特講が無かったため学校で課題をこなして来ることに成功。しかも今回は戦闘の難易度がそこまで高くもなかったので無事2時間程度で済みました(大怪我)。少々感想をば。

 

・そもそも

そもそも8章のストーリーは難解すぎるので、正直分かりやすく解説ができません。ストーリーの本文が一番分かりやすいです。ですが、不可能なりに軽く解説を。

 

そもそも初めは「人間(=ヴィータ)の生きる世界ヴァイガルドが、悪魔(=メギド)の生きる異世界メギドラルの侵攻を受けている!メギドラルのハルマゲドン計画を、メギドでありながらメギドで無い者=追放メギドと共に食い止めよう!!」という設定でした。

しかし章が進み、話のスケールはヴァイガルドから飛び出します。主人公であるソロモン王も、辺境の村の少年から「魔を統べる者」へと成長・物事を俯瞰的に見て、ヴァイガルドとメギドラルが永続的に相互不可侵な関係を持つためにどう動くかを考えるようになりました。そうやって得られた情報は、「メギドラルがヴァイガルドへ侵攻する動機を作っているのは「母なる白き怪蛆」と呼ばれる超存在。メギドラルの中央議会アルス・マグナは蛆によって乗っ取られてしまっている!対して蛆に抵抗する存在として「メギドラルという世界の防衛反応」が働いている......その名はカトルス。カトルスは蛆が用いるシステムの中に「メギド」というイマジネーションの具現化を混ぜ、どうにか蛆に対抗しているが劣勢となっている。メギドラルがこれら2つの「超意識体」同士の戦争に巻き込まれているうちはどう足掻いても平和はやってこない!」というもの。

短くしてこれか?狂ってるぜ。

メギドラルは旧議会アルスノヴァから新議会アルスマグナへと移行し、その過程で蛆に決定機関を乗っ取られています。新議会アルスマグナのトップ層である「メギド8魔星」のうちの1人である「マモン」との戦いに向かうというのが3節の大筋。

マモンは「蛆の支配に抗う」側で、「蛆の手先」であるベルゼフフ、ベルゼフフ傘下のフライナイツと敵対中。しかしフライナイツがマモンの予想以上に上手だったため、ハルマゲドンともうひとつの計画に次ぐ「第3計画」である「エクソダス」の決行を余儀なくされ......。というのが2節の裏事情でした。

2節では、サービス開始時からいる追放メギド「フォルネウス」......カルト宗教の教祖であるメギドがエクソダス計画を知っていて、それを食い止めるために暗躍していたという物語の中で、目的のために手段を選ばなかったフォルネウスがどのように贖罪を果たすかが描かれました。

このフォルネウスの計画ですが、「ヴァイガルドに、メギドラルにおけるカトルスのような、ヴィータ全体の共通意識を作り出す」ことで、そのために「カトルス教」として人々に「カトルスのイメージ」を伝道していました。

最後には贖罪の代わりとして自らの命と引き換えに世界を守ったフォルネウスでしたが、その死はソロモンの心に大きなしこりを残してしまった......というのが2節の大筋ですね。

もう一度言いますけど分かりやすく説明なんて無理ですねこれ。文章力がとても足りません。

 

・感想

ストーリーの流れに対する感想は長くなるので割愛します。あと説明しきれないので......

衝撃を受けたのはやはり死んだはずのフォルネウスの顛末ですかね。彼は生と死の狭間におり、彼の思惑通りに既に形となっていた「ヴァイガルドの共通意識」が、ヴァイガルドを防衛するためにフォルネウスを使者として、魂だけで存在を保たせている状態だったという。そこからフォルネウスはソロモンへ情報を届けるために奮闘する訳ですがあえなく失敗!

終わった......

(以下メギド72より引用)

f:id:Raynakaji:20201024005854p:image

おい!!!!!!

f:id:Raynakaji:20201024005839p:image

おい!!?!?!?

f:id:Raynakaji:20201024005915j:image

おい💖💖💖💖💖

ソロモン王のもとに辿り着けなかったフォルネウスですが、メギド8魔星の1人サタンが育成していた「メギドラルのソロモン王」のもとに偶然召喚されてしまいましたとさ。

おい!!そこの白髪激昂系青白少年は何なんだ!お近付きになりたいですね。えぇ、えぇ。サタン様はプリンスメーカーを持っていたとしか思えません。

恐らく8章のラストとなる次の4節ではマモンとの決着が描かれるでしょうから、恐らくフォルネウスと「メギドラルのソロモン王」の話の回収は9章......最悪10章まで持ち越され得ますが。それにしてもこのデザインかなり堪んないです。ちょっとビックリして声出ましたからね。

f:id:Raynakaji:20201024010336p:image

あとマモン様やっぱキャラデザが良すぎますね。このメギドが配布されるんですか!!?今なら二丁拳銃金髪美女が無料。(頼むからマモンを殺さず召喚してくれませんかね?)

 

オタクモード終わり。

 

・世界は排除じゃ変わらない

f:id:Raynakaji:20201024010530p:imagef:id:Raynakaji:20201024010535p:imagef:id:Raynakaji:20201024010539p:image

魂だけのフォルネウスが内心で、ソロモンと仲間たちの戦いの号令に異を唱えているシーン。いや〜良いですね。このゲームはとことん僕の思想に合います。

誰かを排除しても世界の本質は変わらない、他者の排除で世界が変わると思うのは「そのつもりになっている」だけだ......

何らかの問題を断ち切るには、その根源を絶たねばならないということは余りに当たり前ですが、当たり前すぎて忘れてしまいますよね。僕も気をつけなければなりません。

 

他にもうひとつ言いたい感想があったのですが、上手くまとめられないのでこのくらいで。自身の感動すらも文章化するのは難しいですね。よっぽど瞬間的な情動に基づいて生きているのでしょう。もっと理性的になりたいのですがなかなか難しいです。

 

兎も角も、メギドくんのストーリーは大いに精神の糧になります。現状だと他に楽しみを持てないのでこれを楽しみに生きてる。

皆さんもメギドくんの高難度バトルを潜り抜けて超大スケールのストーリーに触れて下さると嬉しいですね。正直あの解説で興味を持ってくださるとは思っていませんが。前提を経てないと突飛すぎますし......僕の文章力足りませんし......。メギドのライターくらちの文章力が欲しい今日この頃です。

10/21 ①共通模試の所感 ②情報が少ない

昨日は予防接種を受けたせいか体が怠くブログを書けませんでした。またそのせいか今日ブログ書くのも結構気だるかったのですが、今日書かないと永遠に書かない気がするので書きます。

 

・共通テスト模試

先日の共通テスト模試ですが、778/900。まずまず良いですね。東大は9割ボーダーと言われているのであと40点欲しいところ。主に数学と日本史がしっかり取れれば間に合うでしょう。国語がポシャったりすると絶望ですが。共通英語はヌルすぎて負ける気がせん(フラグ)。

 

・その放課後

共通テスト模試の放課後のことです。我が学年の文化祭実行委員の2人が、高三にも関わらず""同窓会""という現役生にとっては得体の知れない謎組織の為に寄稿を書かされておりました。「寄稿」の内容は知らないのですが、何やら過去を振り返りつつ考えを述べている様子。過去を振り返ることは自然と未来へと目を向けさせます。現役受験生にとっての未来とは即ちカレッジライフですね。

僕の理想の将来は「一生好きなこと研究しながらゲームして暮らす」です。そうすると2人の委員のうち1人が「わかる!」と。

この日の前日に僕は母にも同じことを言ったんですね。「一生好きなこと研究して暮らしてぇ」と。鼻で笑われまして......。そんなとき同級生に賛同を得られたのは非常に嬉しかったですね。その人いわく、「文系の人なんてそんな人が大多数だと思ってたけど、同じ考えに賛同してくれる人は(40人中)2人くらいしかいなかったわ」とのこと。

僕もこれは結構衝撃で。皆に「大学に行ったら研究をしろ!」と言いたいのではないのですが、いかんせん5%しかいないとなると......少なくないですか?

でもまぁそんなものなのかもしれません。よく考えれば大学教授の総数なんてたかが知れてますし。

ただ、昨今の学術会議周りの話を見てるとどうしても、研究職に対する軽視が激しすぎませんか?という気がします。第一ほとんどの官僚なんて同じキャンパスにいたはずなんですけどね......。学術会議の在り方を変えるべきでないとは言いませんが、少なくともその勢力を狭める方向は芳しくないでしょう。むしろ、国民がその業務を知らない・知れない方が問題な気がします(いっそ業務増やしてしまうか!)。メディアがネットへと移行することで人々は自分の見たい情報しか選択しなくなる、というのは僕も身をもって感じているところではありますが、「本当に必要な情報」「知っておくべき情報」のようなものが置き去りにされるのはやはりマズいのでしょうね。

「本当に必要な情報が置き去りにされる」と言えば、僕は「選択科目」とやらも本当は嫌で。文系は「理科基礎」でなく「理科」をやるべきですし、理系は「倫理」をもっと重視していいと思ってるんですよね。あと日本人はもっと地学をやりましょう。(これは「地学」をもっと災害における実用を重視したような科目にするべきなのかもしれませんが。)文系諸兄は理系の方々との意思疎通が円滑になるでしょうし、理系の方々は昨今話題にされる「生命倫理」やらに関して知識が無いのでは良くないでしょう。

正確には、最終的に選択科目になるとしても一通りやるのでしょうが、自分の進む科を決めた時点でその科にない科目は軽視しがち(僕も人のことは言えませんが)になるのをどうにか改めたいですよね。かなり理想論ですが。あと僕自身がもっと色々な科目をやりたかったというのがあるので、正直かなり主観的考えなんですよね......。つくづく文筆家には向いてません。

兎にも角にも、「必要な情報」って自分で思ってるより多いんですよね、ってのはずっと思ってることで。僕が振り落としてきたその「情報」の量もかなりのものでしょうから余り考えたくないですが......。

 

まとまりのない文章でしたが3日ぶりくらいなので許してください。

それはそうと明日メギド君の新規メインストーリー来るの何なんですか?急にFGOみたいなストーリー追加の仕方しやがって!(歓喜)(時間が無い)(絶望)間に合えばそっちの感想を述べるかもしれません。

10/20 茶濁し:お気に入りのゲーム音楽3選

こんばんは。ちょっと今日は模試などがありまして忙しく、長々と書けない(本当は書きたいことがあるのですが)ので趣味の話をば。

 

・オススメしたいゲーム音楽3選①

最近でこそ多少幅広い音楽を聞いていますが、基本的に僕はゲーム音楽をこよなく愛しておりまして、常日頃から「お薦め欲」に駆られています。今日は手短にオススメしたいゲーム音楽を3個ほどご紹介しようかと。

ノリと勢いで書いたので「100%感情」です。第一僕に論理的説明が出来るような音楽的知識は無いですしね。許してください......

 

1.「攻城戦」天地を喰らう諸葛孔明伝より

https://youtu.be/DIUrtAVNBNc

ファミリーコンピューター時代のゲームなのでプレイしたことは無いのですが、いわゆるチップチューン?というかFC音源の曲だと1番好きです。戦闘のテーマⅠ部くらい好き。

開始からトップテンションで終始下がることが無い......のですが、なんとこの曲1ループ30秒程しかないんですね。ですので展開が凄い!!みたいな感じではないのですが、単純にメロディーが刺さりました。実際にゲームやると聞き飽きてしまうかもな〜!と思ったり。

 

2.「ゼノ(正式名称不明)」STELLA GLOWより

https://youtu.be/Ua05Z-hNfOc

僕が散々「移植しろ!」と叫んでいるステラグロウさんですね。何故移植しろと叫ぶのか。そして何故曲名が(正式名称不明)なのか。それはサントラ未発売だからです。

サントラ未発売!!権利関係め...私は今誰より法の秩序を憎んでいる自信があります。

「ゼノ」が誰なのかはさておいて、ラスボスの手前で聞くボス曲です。最初ありがちなオルガンから入りありがちなギターが流れてくる訳ですが、やはり...そういうリズム・メロディーは然るべき場面で用いれば然るべき効果を生むわけで。熱い場面には「誰がどう聞いても熱い」メロディーを仕込む方が絶対いいですもん......。移植を出させるためにSEGA筆頭株主を目指します(無謀)。

 

3.「光射す彼方へ」「光射す彼方へ〜颯」ファイアーエムブレムifより

FEif...!僕の青春と黒歴史が詰まったゲームですね。このゲームはストーリーは「う〜〜ん......65点!」というのが個人的感想ですが、音楽に関しては30万点くらいあります。

特にこの「光射す彼方へ」は......本当に好きです。覚醒以降の、シームレスにマップBGMと戦闘BGMが変化する仕様でして、戦闘時が「〜颯」です。マップBGMの段階では落ち着いた雅楽的の曲調で進行するわけですが、「攻撃」のコマンドを押して戦闘BGMに以降するとクソデカ和太鼓ビートが入るという形。和楽器が嫌いな日本人なんてそうそういないわけで......

やはりこう......演出やプレイヤー側の気持ちに合わせて気付かぬ間にテンションを上げさせてくるような...昨今では「インタラクティブな」音楽というようですが...は素晴らしいです。家に楽器が欲しかったと今になって思いますね。踊れるより楽器弾ける方が良かった......。

 

明日は数年ぶりの予防接種の感想と共にもう少し真面目なこと書くと思われます。よしなに。